L O A D I N G
原爆記念日、と言っていた。

今年も午前8時15分に(原爆死没者に哀悼の意を表し)1分間の黙とうを行いました。
今日(8月6日)は、原爆の日
平和公園で行われる<平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)>には
近年、多くの国外からの参加者がいます。
何故か私の中では呼びなれた「原爆記念日」です。
記念日は、終戦記念日などと同じようにいいことの記念日ばかりでは無いのです。

今年は、何も書かず以下のホームページにある「西村利信さんの手記」をお読み頂きたく
ご案内いたします。
<占領下、高校生がつづった被爆手記 69年経てネットで公開>
http://ohimikazako.wixsite.com/kotonoha/blank-17

また同じく今になって口を開いた「山本浩二さんの兄、山本宏さん(80歳)」の記事が
朝日新聞の電子版に書かれていますので、以下に引用させていただきます。

73年前、爆心地から約2・5キロ離れた広島市己斐(こい)町(現・西区)で集団登
校中に被爆した。
後頭部にやけどを負い、激痛に耐えた。当時、己斐国民学校(現・己斐小学校)の2年生。
校庭に掘られた穴の中で、大勢の生徒らの遺体が焼かれる様子を目にした。

 「強烈すぎて思い出したくない」。特に戦後生まれの浩二さんの前では「わざわざ嫌な
思いをさせることもない」と口を閉ざした。広島で長く暮らしたが、原爆につながるもの
は意識的に避けてきた。

 被爆70年を迎えた2015年。母の三回忌で家族が集まった際、初めて息子と娘たち
に体験を詳しく話した。家族とともに被爆した場所を再訪しようと出かけたが、街並みが
すっかり変わり、捜し出せなかった。「いま話さないと、すべて消えてしまう」。昨夏に
江戸川区の原爆犠牲者追悼式で、初めて公の場で体験を語った。

ご冥福をお祈り申し上げます。